日々是好日

魂の声に沿って心と体を満たして生きる

人生で大切なことは、たったひとつしかない。

スポンサーリンク

 

こんにちは。圓岡由衣です。

 

この記事では、私たちが幸せに生きるうえで最も大切なことについてお話しています。

 

これは私が人生のどん底のような気分を味わっていたときに、ふと気が付いたことです。

 

是非自分と照らし合わせながら、読んでもらえたらと思います!

 

外側に意識を向けてきた過去

 

私はずっと外側に意識を向けて生きてきました。もちろん無意識に。

 

人の感情やエネルギーを強く感じるエンパス体質だったこともひとつ要因だとは思いますが、そうでなくても、外側を見る教育を受けてきた私たちは、おそらくほとんどの人が外側の世界ばかりを見ています。

 

外側の世界を見るというのは、

 

  • 「普通こうだよね」
  • 「これが常識」
  • 「どうすべき?」
  • 「何歳くらいだったらこうあるべき」
  • 「女だったらこうあるべき」
  • 「男だったらこうあるべき」

 

といった、誰かが決めたこと、多くの人がそう信じていることを、判断基準にするあり方です。

 

"世間一般的"と言う、誰が決めたのかも分からない「普通」に合わせようとし、常識という思い込みに縛られ、だからこそ、どこかに幸せになる答えがあると思い込み、ひたすら外側に正解を求め続ける。そして相対的に見て自分の幸せを測る。

 

それが外側の世界を見るということです。

 

そうやって生きていると「本当の自分がどうしたいのか」「本当の自分がどう在りたいのか」「本当の自分はどう感じているのか」ということが分からなくなります。

 

私もそうやって意識を外側に向けて生きてきました。もちろん無意識に。

 

ところが、その生き方ではとうとう生きられなくなったのです。

 

人生で大切なたった一つのこと。

 

今はもうクリアに思い出すことはできませんが、あー人生終わったな。と絶望し、心身ともに疲弊していた時期がありました。人間関係も仕事も環境も全部が一瞬で流れていったような、そんな時期がありました。

 

今となっては、全ては本当の自分を生きるために、ズレた道を正す出来事だったんだなと心の底から思えますが、当時は心身共にエネルギーが尽きていて、どん底の気分を味わっていました。

 

その経験を通して意識が180度変わり、人生は非常にシンプルだということに気付きました。

 

私たちは外側に意識を向けてきたので、こんな私にならねばならないとか、こうあらねばならないとか、何歳になったらこうしなきゃとか、意識しているしていないに関わらず、そんな刷り込みが多かれ少なかれあるものです。

 

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う。というアインシュタインの言葉がありますが、その偏見のコレクションを握りしめて私たちは生きてきたわけです。

 

周りから外れまい、周りから遅れまいと無意識に。

 

そうすると本来の自分は無視され続け、本当の意味で心が満たされることはありません。

相対的に見て自分がその常識のどの位置にいるのかで幸不幸を判断することしかできないからです。

 

わたしは

どうしてこんなにしんどいのか。

私はどうすれば幸せなのか。

どうすれば心が満たされるのか。

人生とはなんなのか。

 

来る日も来る日も自分の内側に問い続けました。

もうそれ以外にできる事がなかったからです。

 

そうしていくうちに、自分の首を絞めていた偏見コレクションや、過去に昇華することができずにずっと握りしめてきた感情がひとつふたつとクリアになっていき、それに伴って自分が本当に感じていることが少しずつ感じられるようになっていきました。

 

そしてそこでようやく気が付いたこと。それは

 

世の中に正解なんてものはなく、私たちが正解だと思っているものは全て幻想。

正解はいつも自分の中にある。

自分が心地良く感じる事、楽しく感じる事、しっくりくる事が正解であって、それ以上でも以下でもない。

 

ということです。

 

周りがどうか、一般的にどうか、常識的にどうか、ではなく、自分が心地良く感じているかどうか、しっくりくるかどうか、幸せであるかどうかが人生で唯一大切なことであり、それ以外に大事なことは何ひとつない。

 

そこに気付いた時、ふっと肩の力が抜けたように感じました。

 

大切なことは目に見えない。

 

大切なことは、いつも自分の中にあります。

どれが自分にとっての正解か、小さなことから大きなことまで、その正解は、いつも今ここにあります。

 

だけどその大切なことは目には見えませんよね。

自分の体で感じるしか、その正解を知る方法はないわけです。

 

けれど、外側ばかりに意識を向けている私たちは、自分の感覚に意識が向きません。

 

そして、正解は自分の中にあるんだ!感じればいいんだ!と気づき、そう頭で思っても、今まで外ばかり見てきた人が急に内側を見るってなかなか難しい。

 

もう何十年も右利きだったのを左利きにするのが難しいように、本当に難しい。

 

自分の体の感覚を感じればいいのね!と思っても今までその感覚を無視して頭で考えてきた人にとっては、これも同じく難しい。

 

私自身がそうでした。

 

でも、安心してほしいと思います。

 

全部自分の中に今すでにあるということは、自分が存在する限りその答えはどこにもいかない。

 

ただ、その答えを感じる訓練を自分のペースですればいいだけ。

 

そう信じて来る日も来る日も自分に向き合い続けると、だんだん分かってくるし、今まで受け入れられなかったことが受け入れられるようになりました。

 

幸せはひとそれぞれ

 

これまでの人生に何の疑いもなく生きてこられた人も、もちろん沢山いると思います。それはそれが、その人にとっての正解だからそれで良いんです。

 

だけど、何かが違う。という違和感や、どう在れば自分は幸せなのだろうと感じていたり、自分の人生を見つめ直そうという気持ちがある人は、その感覚を大切にしてほしいです。

 

大切なことは、たったひとつしかありません。

 

『自分がどう感じるか』

ただそれだけ。思った以上のシンプルさですよね。

 

このシンプルが一番難しかったりするけれど、自分の人生なのだから、自分がどう感じるかに一番に耳を傾け、自分が心地よく感じる方向へ進むのは、当然の事かもしれませんね。

 

心地良さ、ワクワク感、興味、喜びを感じること、しっくりくること。

 

これは本当の自分からのメッセージです。

 

ということで、ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 

自分の感覚をどうぞ大切に、お互いに本質の自分を生きていきましょう!